こんにちは。ちゃこです。
最近、学生時代の同級生のママ友が増えてきました。
小中高時代の友達もいれば、東大時代の友人もいます。
子どもを産んでから知り合ったママ友には自分の出身大学を話すことはありませんが、学生時代の友人は東大卒ということを知っています。
そこでよく聞かれるのが、「ちゃこはどんな習い事をしてたの?」ということ。
今回は私が経験したことのある習い事を紹介します。
もくじ
保育園時代の習い事
今は未就学児向けの習い事もたくさんありますが、私は小学校にあがるまでは何も習い事をしていませんでした。
経済的な理由もありますし、両親の教育方針として習い事が必要とは考えていなかったようです。
子どもは遊んで育つもの。子どもは子どもの中で育つもの。
そんな考えがあったようです。
母も働いていたので8時には保育園に登園し、お迎えは17時半。平日に習い事に通わせる時間的余裕もなかったと思います。
田舎の保育園でしたので毎日裸足でかけ回り、どろんこになって遊んでいました。
母は、あの頃は毎日洗濯が大変だったわよ、と言っています。
一緒にお風呂に入りながら、母が洗面器で私の服をゴシゴシ洗っている光景を覚えています。
小学生のときの習い事
スイミングスクール
小学校1年生のときに近所のスイミングスクールに通い始めました。
自分でやりたがったのか、親に勧められたのかは覚えていません。
私には3つ上の兄がいるのですが、兄は保育園の頃からプール嫌いで、小学生になっても水泳の授業に苦労していたようです。
そんな兄を見て妹にはプールを好きになってもらいたい、という母の想いがあったかもしれません。
3年くらい通って、クロール、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライが泳げるようになりました。
スイミングスクールには級があり、始めの頃は級が上がると新しい泳ぎ方を教わります。
しかし、上記4種類の泳ぎができるようになると、あとは距離とタイムで進級が決まります。
ひたすら速く、ひたすら長く泳げるように練習、ということです。
泳ぐことは好きだったのですが、速く泳ぐことにあまり意欲が持てなかったため、次第につまらなくなり辞めました。
そろばん
小学校3年生で、そろばんを始めました。
これは、私が行きたくて通わせてもらったのを覚えています。
兄が既にそろばん教室に通っていて、教室に行ったりテストに合格したりするともらえるそろばん塾のポイント券がほしかったのです。
ポイントを貯めると消しゴムや鉛筆、シールなどと交換してもらえ、兄が交換した景品を自慢するのが羨ましかったんですね。小学生にありがちな動機です。
当時仲が良かった子も、そろばんに通っていたというのも理由の一つ。
2年か、3年通って、暗算6級、珠算4級で辞めました。
なぜ辞めたくなったのか、あまり覚えてないのですが、母から「せっかくだから3級を取ってから辞めたら?」と言われ、辞めようと思ってからも数ヶ月通いました。
でも、やる気がなかったので、宿題をサボったり、無断欠席したりしていました。
母は、本人のやる気の無い習い事を無理やりさせても意味がない、という方針でしたので、3級をとることなく辞めました。
公文式
そろばんを辞めてから、公文に通い出しました。
これも、私がやりたくて通わせてもらっています。
友達とよく遊んだ公園の前に公文教室があって、遊んでいる最中に「僕、公文いってくるから、また後でね!」と一緒に遊んでいる友達のうち数名が教室に入って行きます。
30分とか1時間とかすると、バラバラに友達が教室から戻ってきて、また一緒に遊び出す、という感じです。
勉強するところ、というのはもちろん知っていましたが、なんだか楽しそうだなぁ、という感覚で通いたい、と母に言いました。
私が東大に入る学力や学習習慣がついたのは、ほぼ公文のおかげと思っています。
詳細は別記事にしますが、最初は算数からはじめ、1年後に英語を追加。
算数(数学)は高2まで、英語は高3まで続けました。
ベネッセのチャレンジ
通信教育のチャレンジを、小学生の間はずっと続けていました。
付録の学習おもちゃとシールばかりやっていて、毎月赤ペン先生に提出するワークは出したり出さなかったり。
半年くらいワークを溜め込んでいて、それを母親が知ったときはさすがに「もう辞めたら?」と言われましたが、「やるから!出すから!」と言って続けさせてもらっていました。
今思うと、母は私がチャレンジにしろ、そろばんにしろ、どう取り組んでいるか、さほどチェックしていなかったんですね。
「勉強しなさい」と言われたことも一度もないし、「やらないのなら、辞めなさい。お金がもったいないから」というスタンスで育てられました。
ベネッセは、今では0歳からコースがありますし、英語教材やタブレット教材などものすごく進化していて驚きます。
息子にはまだやらせていませんが、今後入会の可能性が大いにあります。
中学生のときの習い事
公文式
小学生で始めた公文を、引き続き続けています。
数学と英語の2教科で、一時期国語も体験してみましたが、3教科は多いと感じ体験のみで辞めました。
学習塾の夏期講習
地元の中学に進学したので、中学3年生になって受験生となります。
それまで公文以外の塾は通ったことがなかったのですが、中3の夏、地元の学習塾の夏期講習に行きました。
学校の友達が何人も通っている塾で、一番仲の良かった子が「夏だけでも一緒に通おう」と誘ってくれました。
母も「公文だけで大丈夫?」と思っていたようで、すんなり通わせてくれました。
初めて塾の授業を受けて衝撃的だったことがいくつもありました。
学校で習ったことと同じことをまた習う。ノートにとる。テストに出す。これにびっくりしました。
学校で教わらないことを教えてもらうと思っていましたから。
また、おそらく大学生のアルバイト講師だったのでしょうが、英語の授業。単語のスペルミスがいくつもありました。発音も悪い。(スペルミスなどの先生の間違いはいっさい指摘しないタイプの子で、心のなかでずっとモヤモヤしていました。)
社会の授業だけは面白く、暗記事項を語呂合わせで覚えたり、歌やリズムの中で覚えたりする方法を教わりました。
ひと夏通って、このまま続けてもお金がもったいなぁ、これなら公文で勉強するほうが有意義なだ、と思って塾は退会しました。
部活+α
中学時代の習い事はこの2つだけでしたが、運動部に入り月〜土曜まで練習がありました。
中2から中3の夏に引退するまでは、部活の関係で知り合った外部指導者に誘われ、隔週の日曜日に高校で練習したり、市民チームのメンバーになって練習をしていました。
部活メインの中学時代、勉強は公文と学校の宿題・課題・定期試験だけでした。
高校生のときの習い事
公文式
高校でも中学のときと同じ部活を続けていました。帰宅は夜の7時半、8時。
公文は週に2回通うのが基本ですが、週に1回だけ宿題交換をしに行く、ということが多かったです。
その頃は公文の先生に教えてもらうことはなく、自分でプリントに向かい、わからないことがあれば解答書を借りて自分でつまづきをチェック。
同じプリントをもう一度やりたい、とか、このまま次のプリントに進みたい、とか全て自分の判断で学習を進めていました。
公文をやっていて一番良かったことは、この「自分から勉強する姿勢」が確実に身についたことだと思います。
長時間、集中して勉強する力も、公文のおかげだと思います。
(関連:私が東大に合格するまでの1日の受験勉強時間)
Z会
高校3年生で通信のZ会に入会しました。
高2の終わりでは、東大に行けたらいいなぁ、東大でなくても国立に合格したいなぁ、と思っていました。
大学受験対策になるような塾か教材を探していた所、Z会が良さそうだったので入会。
塾に通っている高校の友人に塾の評判を聞いて回ったことがありますが、学校で習うことを繰り返し教わるようだったので塾は入りませんでした。
Z会ではセンター試験の対策講座と、東大対策の5科目(英数国物化)を受講しました。
とりあえず、東大レベルの問題を解けるようになっていれば、それ以外の国立大にも通用するだろう、という考えでした。
私の受験時とは教材内容も変わっていると思いますが、Z会はけっこう良かったです。
特に、センター対策の講座。練習問題と提出課題のどちらも100%点が取れるように繰り返し解きました。
東大対策講座は、私にはレベルが高すぎて課題の提出頻度は高くなかったです。
特に、物理と数学はちんぷんかんぷん、という感じで、まっさらなテキスト、まっさらな提出ワークが溜まっていました。
受験追い込みの時期、年明けくらいで苦手分野の問題をZ会の教材から探してまとめて解く、という感じ。
英語、国語、化学は100%消化するまでには至りませんでしたが、Z会でレベルを底上げしてもらった感覚です。
国語の記述式部分の添削はおおいに参考になりました。
習いごとのまとめ
以上、私が東大入学までにやったことのある習いごとでした。
今は習いごとの種類が増えましたよね。体操教室やダンス教室、プログラミング教室、科学教室、英会話など。
未就学児を対象にしたものもたくさんあって、息子と習いごとの付き合い方について考えることもよくあります。
子どもは外で体を動かしてたくさん遊べば良い、と思う反面、早くからいろいろなものに触れさせ、息子が熱中できる何かに出会うきっかけを作ったほうが良いのかも、とも思います。
ある程度子どもが大きくなって、自分の意志がはっきりしてきたら、本人のやりたいものをやらせたいと思います。
最後までお読み下さりありがとうございました!