幼児教育・早期教育・知育についての違和感

早期教育

現在息子は0歳1ヶ月。

東大出身者は、さぞかし我が子の教育に熱心だろう、と思われています。

ましてや、両親ともに東大となれば、周囲からはかなり興味を持たれます。

実際、私たち夫婦も、我が子の教育には高い関心をもっています。

幼児教育、早期教育は、できる範囲でやりたいと思っています。

子どもが0ヶ月のときから意識して歌い聞かせや読み聞かせを始めましたし、

カード学習用の漢字カードも先日購入しました。

ときどきクラシックを聞かせてみたりもします。

幼児期にしかない、ものすごい吸収力。

大人とは比べ物にならない能力の発達のスピード。

これを活かさない手はないな、と思うからです。

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知的な面での幼児教育・早期教育に対する違和感

でも、早期教育を熱心に行うことに、なんとなく違和感も抱いているんです。

偏見なのかもしれませんが、ちょっと怖いな、と。

何か間違った方向に育ってしまうのでは?、と。

早くからの知的教育にあまりに熱心になってしまうと、子どもの性格や精神状態がどこか歪んでしまうんじゃないか、というイメージがあるんです。

これについて、別の機会にもっと深く掘り下げて考えたいと思っています。

最近、ブログ村でのカテゴリー「幼児教育」というのに参加してみました。

目的は、ブログ村からのアクセス流入というよりも、幼児教育に興味を持ち、ブログで情報発信している方の様子を知りたい、ということ。

幼児教育のカテゴリーで、お子さんの知的な成長の進捗状況を発信されている方がたくさんいらっしゃいます。

愛情深く接し、楽しみながら働きかけを行い、子どもの成長を素直に喜んでいるパパママたち。とても微笑ましいな、と感じます。

一方で、「う〜ん、どうなんだろう?」と感じる場面もあります。子どもの意思でなく、ご両親の意志で物事が進められているような。。。

早期教育・幼児教育に対する違和感。これがどこからくるのか考えてみました。

違和感の一番の原因は、「できた!」の体験が、大人に仕組まれた中の体験であること、なんだと思います。

早期教育の教室ではおそらく、お子さんが◯◯できるように働きかけしましょう、というカリキュラムがありますよね。

カードを集中して見つめられるようになるために、こうしてください、とか。

数字が読めるように、数唱をきかせましょう、とか。

つまり、「◯◯ができるように」という明確な目標やそのための決められたステップがある、ということ。

子どもの成長過程にカリキュラムがある、ということが違和感なのかもしれません。

子どもができるようになること、興味を持つようになるステップを大人側で決め、それに沿って一緒に喜んだり、誉めたりする。「これができるようになってほしい」と親が意識して環境づくりをする。

そうすると、子どもが何かできるようになった時の「できた!」の体験は、親に誉めらてもらえる体験。親ができてほしい、と思ってレールを敷いた「できた」の体験になってしまいます。

子どもが自然と興味を持ち、いつの間にか出来るようになり、自分自身で達成感を得るのを待つのではない、ということです。

例えば車のオモチャ。こうなってほしい、これができるようになってほしい、と明確な達成目標を持って与えるでしょうか?

車の車体をしっかり右手で掴み、力を入れて押し、倒れずにまっすぐ30cm車のオモチャを走らせることができるようになってほしい。

だから、子どもが車を右手で掴んだら褒めてやる。

次に、ゴロゴロと車を転がせるようになったら褒めてやる。

さらに、車を走らせる距離が長くなったら褒めてやる。

そうやって、できるようになってほしいことに向かって、子どもができるようになったことを、その都度、褒めて、喜んでやるでしょうか?

そうではなく、おもちゃを買ってあげたら子供が喜ぶから。車のおもちゃで楽しそうに、無邪気に遊ぶから。

そんな姿を見るのが保護者の方も嬉しくて、オモチャを与えるのではないでしょうか。

読書が好きになってほしいから、読み聞かせをしよう。文字が早く覚えられるように働きかけをしよう。

記憶力が良くなってほしいから、カードを使ってみよう。

手先が器用になってほしいから、ジグソーパズルを与えよう。

賢く落ち着きのある子になってほしいから、クラシック音楽を聞かせよう。

英語ができるようになってほしいから、英語のDVDを見せておこう。

楽譜が読めるようになってほしいから、早くからピアノを習わせよう。

泳げるようになってほしいから、スイミングスクールに通わせよう。

◯◯できるようになってほしいから、○○させよう。◯◯の環境を作ってあげよう。

子供がある程度大きくなり、自分の意志で自分のやりたいことを決断できるようになるまでは、親の与える環境が必ず興味を左右すると思います。

早期教育をされる親御さんは、決して無理強いしてはいないと思います。子どもが泣いて嫌がるのに勉強させようとか、知育玩具で遊ばせよう、など押し付けてさせていることはないと思います。

子どもが喜んで、楽しんで、嬉しそうにやっているんだと思います。一緒にその教材をすることで、親子のコミュニケーションにもなる。それで賢くなるなら、◯◯できるようになるならラッキー、くらいの気持ちの方が多いんだと思います。

小さい子は、勉強も遊びも区別なく、興味を持ったことにのめり込みます。そして身近な保護者と一緒にやることなら、何でも楽しく感じ、一緒にすることが嬉しいはずです。

それに加えて保護者の方が、何かできるようになったことを嬉しそうに褒めてやるのであれば、どんなことだって幼児は好きにならないはずがないですね。

それでも、幼児教育はしようと思っています。

知的な面での早期教育に違和感がありつつも、私は意図的な働きかけをしようと思っています。

幼児教育は良くない、早期教育は弊害がある。そんなイメージがありつつも、やらないでいて、ああだ、こうだと批判するのも嫌なのです。

改めて記事にする予定ですが、生後1ヶ月でBaby Kumonを始めています。

七田式や家庭保育園、こどもちゃれんじなども気になりますが、公文式のBaby Kumonを選んだのはいくつか理由があります。

・明確なカリキュラムがなく、のんびりペースでできること(月齢での目標設定がない)
・公文の先生と母親である私とのコミュニケーションがメインになること
・子どもの成長を一緒に見守ってくれる、家族以外の人がいてほしいと思ったこと
・月額2160円で、0歳児からできる教材の相場よりは低いこと

本音で言うと、子どもには早く本を読めるようになってほしいなぁ、と思います。読書好きになってほしいな、と。

文字が読めて、本を楽しめるようになるのは何歳だっていいと思います。一人で読書ができるようになるのが3歳であろうが、小学生に上がってからであろうが、大人になったとき大差はないのかもしれません。

それでも私は意図的に、我が子が早い段階で読書が好きになるように、働きかけするつもりです。

もう一つの早期教育はトイレトレーニング

もう一つ、意図的に働きかけしようと思っているのが、排泄コントロールです。

ウンチやおしっこを、できるだけ早くにコントロールできるようになってほしいと思っています。

尿意や便意を感じたら、それを親に知らせたり、少し我慢したり、おむつでなくトイレで排泄できるようになってほしいのです。

なので排泄に関しては、子どもが興味を持ってるとか、楽しそうとか、そんなことは一切お構いなしで褒めたり喜んだりしてやっています。

最後までお読み下さりありがとうございました。まとまりのない文章で恐縮ですが、第1子出産後1ヶ月の今、感じていることを率直に書いてみました。子育てをする中で、私の考えも変わっていくと思います。早期教育に対する漠然とした不安や違和感も、変化していくと思います。

共感する部分があったり、批判したくなる部分があったりするかもしれません。早期教育を実践している方。早期教育を施したけど、辞めた方。早期教育は良くないと思っている方。遠慮無く以下のコメント欄に感想やご意見をお書き込みください。いろいろな立場の方と意見交換することで、違和感や不安が解決されるように思います。

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