どんな子どもを育てたいか。どんな子育てをしたいか。

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先日、3年ぶりに社会人時代の友人3人と会っていろいろなことを話しました。

もともと私は教育業界で働いていたため、その友人たちも、子どもや教育、親子の関係について感心が高いです。また、社会問題に対する意識も高いメンバー。

結婚して子育てをしていたり、転職をしてNPO法人で働いていたり、現在の状況は様々です。

ただ、どんな子育て、どんな教育が理想なのか。関心を持っていることは一致しています。

そんな友人たちと話をして、改めて私はどんな子どもを育てたいのか、どんな子育てをしたいのか考えました。

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子どもが元々もっているエネルギーや好奇心を削がない子育て

一つ目は、子どもが元々もっているエネルギーや好奇心を削がない子育て

子どものエネルギー、生きることへの意欲、新しいことに対する好奇心。

現在こーくん1歳7ヶ月。日々、彼と過ごしていて、この内なるエネルギーの大きさに感心します。

私が何とも思わないものでも、楽しそうなものを見つけると目を輝かせ探索する。

例えば
・水たまりを見つければ突進していきピチャピチャ遊ぶ。
・クリップで封をした砂糖や塩や片栗粉、お米の袋を見つけると中身を出そうとする。
・他の子供たちが集まっているところに駆けていく
・ひたすら砂を器に入れては出し、入れては出しを繰り返す。

また、自分の知っていることに出会うと、大喜びで表現してくれる。

例えば
・犬を見れば「ワンワン!!」。寝ている人を見れば「ねんね!!!」。走っている人を見れば「たっ!たっ!たっ!たっ!!!!」
・アリを一緒に観察してから、昆虫(羽虫でもクモでもダニでも)を見つけると「アリ!!アリ!!!」と大発声
・鳩を見れば「ポッポッポッーはーぽっぽ」と歌い、絵本や靴下や食器に描かれた星のマークを見れば「きーらーきーらーひーかーう!」ときらきら星を歌う

身体も頭もぜーーんぶ使って身の回りの世界を丸ごと理解しようとしているし、知っているものに出会うと「これ知ってる!これ知ってる!」と興奮する。

このエネルギーが、歳を重ねるに連れ小さくなっていってしまうのがなんとも惜しい。こんなふうに毎日を全力でワクワク生きている大人でありたいと思ってしまう。

大人に従うこと、我慢も大事だが

学ぶこと、新しいことを知ること、身の回りで起こっていることを理解することを、こんなにも楽しそうにしている1歳児。

この好奇心や知的欲求が、いつの間にかしぼんでいき、「勉強が嫌い」「興味のあることがない」「好きなものもやりたいことも見つからない」なんて子どもになる可能性だってある。(仕事柄、そんな子どもに出会うことも多かった。)

社会で、人と人との間で行きていくのに最低限必要なルールやマナーを守れるようになることは大事。

物事を理解するために基礎学力も大事。

大人の言いつけを守ることも大事。

自分の欲求に100%従って社会で生きることはできず、我慢をすることも大事。

でも、大人の言うことに従うだけの子どもにはなってほしくない。

自分のエネルギーを枯らして、大人から褒められる優等生になろうとはしてほしくないんです。

知恵がついてきて、できることも増えてくると、私がしてほしくないこともたくさんしたがります。触ってほしくないものにもどんどん手が伸びる。

もちろん叱ることもあるし、イライラする事もあるのだけれど、彼のエネルギー、彼の好奇心をできるだけ削がずに子育てがしたいと考えています。

親の価値観から抜け出し、自分自身の価値観や考え方を自分で見つけ出していける子育て

もう一つが、親の価値観から抜け出し、自分自身の価値観や考え方を自分で見つけ出していける子育て

友人たちと宗教の話題になった時、私はこんなことを言いました。

「子育てしてたら教祖になれるよ!今なら100%自分の価値観を植え付けられる。洗脳できるよ。」と。

これまで託児所や保育園に預けることなく、ほぼ100%こーくんを自分と夫で見てきました。

食事の作法や挨拶などの日々の生活習慣、物の名前、道具の使い方、やって良いことと悪いこと。

ほぼ全て、私が伝えたこと、私の姿を真似して身に付けたこと。

これからもっと言葉が発達し、社会性も高まっていけば、物事に対する考え方も絶対的存在である私が伝えることになります。

・学ぶことは楽しいこと。学校で習うことは知っておくべき
・家族は支え合って助け合って生きるもの。家のお手伝いは大切な仕事
・生き物や自然は大切にしなさい
・友だちとお金の貸し借りをしてはいけない
・ゲームは1日40分まで

など。

言葉で伝える価値観もそうですし、親の立ち振舞いや生活習慣など自然に伝わっていく価値観もたくさんあります。

子ども同士の社会、園や学校の先生との人間関係、ご近所さんや祖父母との関係だって影響するのですから、100%親の価値観が絶対とはなりませんが、人生のある時期までは親が絶対。親の考え方が善悪の判断基準。

その分、子どもに真似してほしくないことはやめようと、襟を正す思いにも。

「教祖」「洗脳」なんていうと母親の傲慢かもしれませんが、親の価値観・考え方が世の中の当たり前だと思って大きくなっていくでしょう。我が家の常識は世間の非常識という言葉もあります。

しかし、親の価値観が絶対なのか、正しいのか揺らぐ時。

「チョコレートは食べちゃいけないんだよ!だってお母さんがそう言ってたもん」

「違うよ!私のお母さんはチョコレート食べても何も言わないもん」

3歳か4歳くらいの子ども同士でこんな会話が先日の公園でもありました。

これくらいなら可愛いものですが、思春期になるともっと大きな価値観の揺らぎと戦うことがあるかもしれません。

思春期を過ぎても、親を客観的に見られるようになるには年月がかかると思います。

親の価値観を受け継ぐ

例えば、私の母は「専業主婦にならないほうが良い。女性も経済的に自立していなきゃダメ」という考えで生きてきました。

そんな母を見て私は、「専業主婦は悪」「専業主婦はいけないこと」という価値観を無自覚に持つようになりました。

このため、結婚のために仕事を辞める、一時的かもしれないが専業主婦になる、ということにものすごく抵抗がありました。

夫と結婚して専業主婦でいる間、しばらくは自分がダメになってしまったように感じていました。母の考え方にいつのまにか縛られていたんですね。

他にも程度の差はあっても、自分の考えだと思っていたことが両親の価値観をそのまま受け継いだだけだった、ということは多々あります。

私も夫も、大勢の人間の中のたった1人の人間。価値観や考え方は絶対ではない。

親が正しいと思っていることがそうではないこともあるだろう。

何があなたにとって正解で、どんな生き方をするのが良いか。それはあなた自身で考え見つけていってほしい。

そんなことを伝えたいと思っています。

そして、自分自身で生き方を決めていけるようなスキルを持たせてやりたい。

つまり、
本を読む力。
映画、演劇や漫画などから影響を受ける感受性。
友人や他の大人に相談したり、意見を求めることができるようなコミュニケーションの力。
自分自身と深く向き合うための思考力。

親を乗り越える力はなぜ大切か

親の価値観を乗り越えて、自分の価値観を形成する力がなぜ大事と思うのか。

それは、こんな親の言葉に傷つき、自己肯定感を失い、好奇心や挑戦する力を弱めてしまった子どもを見てきたからです。

「私がバカだからこの子もバカなんです。」
「私が◯◯するのが苦手だから、この子もできないんです。」
「うちの子は昔から落ち着きがなくて、、、」
「うちの子はいっつも約束を守らなくて、、、」

その言葉を聞いた子どもがどんな気持ちになり、自分をどんな存在だと思うようになるのか。親はあまり深く考えていません。

習い事をいくつも掛け持ちし、どれもそんなに好きじゃないのに、親に「行きなさい」と言われるから行く。親の言うことに逆らってはいけないと思い込んで、暗い表情で毎日のタスクをこなす生活をする子。

こんな子どもたちに、親の価値観を乗り越えて、新しい判断基準を持つ力を備えてやりたいと思うのです。

最後に

もともと「子ども」や「教育」に関わることが好きだった私。友人らと教育について議論することで以前の気持ちを思い出しました。

新しいことを知るワクワク感。できなかったことができるようになったときの達成感を感じてほしい。

好奇心を絶やさず、自分自身の内側から湧き上がる情熱を注げるものを見つけてほしい。

今は我が子の子育てにどっぷりですが、子育てが一段落したら、いろいろな子どもや親子に関わる仕事をしたいなぁ。

最後までお読み下さりありがとうございました!感想やあなたがどんな子育てをしたいか、書いてくださると嬉しいです♪

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コメント

  1. masa より:

    すばらしい教育観ですね。

    <このエネルギーが、歳を重ねるに連れ小さくなっていってしまうのがなんとも惜しい。こんなふうに毎日を全力でワクワク生きている大人でありたいと思ってしまう。>

    残念なことに、このエネルギーがだんだん醒めてしまうのも「社会性」の成長でしょうか。一人一人がもっている「ワクワク感」を活かすのも社会の許容度によるものでしょう。残念ながら、日本はそのような許容度が低いと感じてしまいます。「一糸乱れぬ集団行動」が学校や社会で賞賛される傾向が強く、一つの価値観から外れた行動や考えは「いじめ」の対象に、はては「犯罪」にまでなってしまう危険性のある現今です。

    <大人に従うこと、我慢も大事だが>
    親や大人の価値観だけで子どもを見たり、縛るのは、子どもを萎縮させるだけです。子ども独自の価値観に気付かない大人のなせることです。子どもは子どもなりの「世界」があり「論理」があるのです。ルソーの「エミール」に
    「・・・もっとも賢明な人でさえ、大人にとってなにを知ることが肝要かに執着して、子どもがこれを覚えられる状態にあるかないかを考慮しない。彼らは、いつも子どもなかに大人をさがし求めて、大人になるまえの子どもがなにものかを考えない。・・・」
    200年以上前の文章ですが、いまだあまり変わらない状況ですね。

    <私も夫も、大勢の人間の中のたった1人の人間。価値観や考え方は絶対ではない。>
    このような考えになっていくには常に相対的に見る態度が必要かな。他の立場に自分を置き換えてみる。人間関係など全く「相対的」なこと。「このような私」が存在するのは相手があってのこと。違う相手では「このような私」は別の「そのような私」になっている。「絶対的な私」など存在しない。「絶対正しい」なんて思わないこと。どこかに抜け穴があるかもしれない。誰それがこう云った、だの、どこそこの本に書いてある、だのに根拠をもとめるのではなく、最終的には自分の「感覚」にまで掘り下げてみることだと思います。

    ちゃこさん、応援しています。

    • ちゃこ より:

      masaさん

      コメントをありがとうございます。とても嬉しいです。

      >このエネルギーがだんだん醒めてしまうのも「社会性」の成長でしょうか。
      先日、公園で保育園の子どもたちに会いました。年中か、年長さん。
      その中でひとりだけ、他の子どもたちとは交わらず、ツツジの花の蜜を吸ったり枝を拾い集めたりする子どもがいました。
      他の子どもたちがお茶飲み休憩をしているときも、皆が手を繋いで園に帰るときも、その子は1人で探索していました。先生が声をかけても輪の中に戻りません。
      さすがに公園に1人残して帰るわけには行かないので、先生が「よし、みんなで◯◯を探しながら帰ろう!こっちの方にあるかなぁ〜?」とわざと大きな声で彼に聞こえるように言いました。
      その言葉につられ、彼はみんなと手をつないで帰ることが出来ました。

      20人弱の園児と2人の先生。
      明らかに、彼は浮いていましたが、一度も先生から怒られることなく、ダメ、と言われることなく、集団の中に戻っていきました。
      決して無視されることもなく、でも彼の好奇心をできるだけ尊重しているように見えました。

      >>「このような私」が存在するのは相手があってのこと。「絶対的な私」など存在しない。
      そうですね。ブログを書いていても、記事の内容によって想定する読者が違うので文体も自然と変わっています。
      理想とする子育て像や教育感も、体験や読書を通じて、変わってきています。

      masaさんの活動も応援しています。ブログ更新、楽しみにしています。

      masaさんのブログはこちら→幼児教育あれこれ

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